でも今日お話したいのは処分の重さについてではなく、亀田家と一般人の関係について考えたいのです。
2003年ごろ「世界に一つだけの花」というSmapが歌ったがダブルミリオンを記録し大流行しました。今でも大好きな人は多いのではないでしょうか。なにより『No1にならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン』という歌詞がうけました。。僕もCD買いました。この価値観はかなり浸透し僕自身も気にいってましたが、最近はもう無理があると感じることが多いのです。というのはオンリーワンという言葉に甘えて自分は何をしててもいいんだという危うい感覚が生まれてしまったことです。
そこで亀田家のいわゆる悪態に繋がってくるわけですが、「世界に一つだけの花」の言う一人一人が持つ個性を大事にしようという認識でいるならば、彼らの悪態は許されます。でも実際はそうじゃない。 「世界に一つだけの花」があれだけ流行っても、亀田家を嫌う人は大勢いるからです。こんなに個性のある家族が拒絶されるのですから、この価値観は限界です。だから「世界に一つだけの花」は大好きだけど、亀田は大嫌いではこまるのです。自分は他人に認めさせて、自分は他人を認めない価値は危ないと思います。自覚のないところできっと無駄なストレスを抱えていると思うのです。
最後に、ある小学校のとある教室に掲げられたスローガンについて話したいと思います。そのスローガンには「一人一人がヒーロー」と書いてありました。一見素敵なスローガンですが、ちょっと考えてどうかなと思いました。やはりみんなヒーローっていうのは無理があって、どうしても脇役になる人間が出てきます。たいていの人間はそうです。多分、みんなはヒーローになれる可能性があると言いたかったんでしょう。あるいは主人公とか…、主人公ならしっくりきます。今、自分が生きている限りはその人生の主人公で、がんばればヒーローになることもできるかもしれません。でも、大切なのはもう一つの認識で自分はまわりの人の登場人物に過ぎず、自分のまわりの人も主人公であるということです。この認識が、謙虚さや思いやりを生むのではないかと考えています。

